エピソード50
今は亡き父が焼ビーフンを好きで私が小さい頃から母がよく作ってくれてました。
お手製のビーフンはほんとに美味しく、6人家族で大量に作ることもあり、「明日も食べるから残しておいて」とお願いし、翌日もおやつ代わりに食べていました。
自身の家庭をもち、いざ焼ビーフンを作ろうと思うととても大変でした。大好きで大量に作るせいもあるのですが麺を湯がくのから始まり、炒めるのもさばくのが大変で、味付けをするもなかなか味が入らずかなりの調味料を使うも味がきまらず、いつしか家庭では作らなくなっていました。(実家では味付けビーフンではなく、御社のかはわかりませんが乾めんを使ってましたので、味付けビーフンは邪道だと思ってました)
一度味付けを使ってみようとケンミンの手軽に楽しめる…を試したところ、衝撃の手軽さと美味しさでした!
今まで苦労して作ってたのはなんだったのか、手軽に…を邪道だと思ってた事が悔やまれました。以降はずっとケンミンの手軽に…です!
色んな味を試しましたが、小さい頃にたべていたビーフンを思い出す鶏だし醤油味が1番好きです!
エピソード49
母との思い出の味。土曜日の午前のみ学校の授業があった時代、お腹を空かせて帰宅すると母が必ず焼ビーフンを作っていました。玄関のドアを開ければすぐに台所があり、家に入る前に焦がし醤油の香りが鼻先をくすぐっていたのを今でも覚えています。
母子家庭だったので昼も夜も働いていた母ですが、土曜日の昼だけは出来立ての手料理を食べられるのが子供心ながらに嬉しかったです。味付けは醤油、具材は特に決まっておらず、冷蔵庫にあるもので私や弟が飽きないように工夫していたのだと思います。私が大学進学で家を出るまで、毎週土曜日のお昼ごはんは焼ビーフンでした。
大学の学生寮で暮らしてからもその習慣は私の中で根付いていたようです。平日は食事を抜いたりアルバイト先のまかないで済ませていましたが、土曜日は共同台所を利用して焼ビーフンを作っていました。同じ時間に台所を使っていた別の部屋の先輩と分け合ったり、同室の友人と大皿を囲んで一緒に食べたり、楽しい時間を過ごしました。
実家を出て15年経っても、私が帰省する度に母は必ず焼ビーフンを作ってくれます。本当ならば私が作るべきなのですが、この年齢になっても母の手料理が食べたいのです。
エピソード48
初めてケンミン焼ビーフンを目にしたのは、妻と近所のスーパーに行った時のこと。
「こんなのあるんだ。何かのときのために買い置きしといていい?」そういって妻は二袋、買い物かごに入れました。
その数ヶ月後、以前手術を受けて経過を見ていた妻の病気の転移が判明。私も付き添い、二人で何度も通院しました。
病院は待ち時間が長く、朝自宅を出発し、帰宅はいつも夕方になりました。それでも自分で夕食を用意したがっていた妻。
疲れ切って帰ってきたある日、食料庫を見て「これがあったよ!」と焼ビーフンを取り出してきました。「美味しいね」と私。「つくるのすごく簡単なんだよ」と妻。優しい味が、疲れた体に染みました。
今、自分で夕食を用意する身となった私は、週に3、4回は焼ビーフンをつくります。一緒にスーパーで買ったカット野菜と炒めるだけで、ヘルシーな野菜焼ビーフンのできあがりです。
二人で食べた思い出の焼ビーフン。妻の置き土産が、今も私の食生活を支えてくれています。
あの時の楽しい食卓を思い出しながら、今日もいただきます。
エピソード47
地元の高校を卒業後、東京に就職し、慣れない生活とホームシックで落ち込む日々が続いていた頃、職場の先輩が自宅に招いて下さり、手料理を振る舞ってくれました。
唐揚げのような揚げ物やサラダが並ぶ中、田舎では見た事のない、焼そばとも春雨とも違う、初めて味わうめんが、何とも言えずおいしくて、先輩に聞いたスーパーで翌日すぐ買い求めて自分で作り、思い切り味わいました。
上京してから初めて帰省した時もビーフンを5袋買い求めて持ち帰り、家族に振る舞って喜ばれたことを思い出しました。
あれから時は流れ、かれこれ30年以上の月日がたち、新しい家族も出来ましたが、今でも来客の際は必ずビーフンを作り、また普段の我が家の食卓にもよく上がり、子供も大好きな一品となりました。
上京したばかりで一番寂しかった18歳の頃の、何処か切ない思い出と、先輩のあたたかい思いやりに、今でもふと思い出しては感謝する懐かしい味です。
エピソード46
おばあちゃんのビーフン
私が大学受験の頃、受験勉強に悪戦苦闘し悶々と過ごしていた頃の話である。
夜中部屋で勉強をしていると、祖母がお皿にのせた熱々のビーフンを持ってきてくれた事が数回ある。
学校や塾に忙しく、週末は友人と遊んだりする事も多かったので、祖母と話す時間は少くなっていたが、祖母の持ってきてくれたビーフンを食べてる時、祖母は嬉しそうに微笑みながら私を見ていた。
「おばあちゃん、ありがとう!ビーフン美味しかった」そのような言葉を言うと、祖母は空のお皿を持っていってくれた。
受験で不安になっていた心が、ふと暖かくなった。おばあちゃんの優しさに暖かくなったのか、温かいビーフンで身体が温かくなったのか、おそらくその両方だと思った。
私にとってビーフンはおばあちゃんとの暖かい思い出の味です。
エピソード45
私が高校生のとき、父と進学先のことでケンカをしました。理由は些細なことで、私は県外の大学に進学したかったのですが、父は県内の大学を勧め、言い合いになってしまいました。その日は仲直りができず平行線の状態のままでした。
そこで次の日、いつもは料理をしない私が簡単にできるケンミン焼ビーフンで料理を振る舞い、言葉では言えない「ごめんなさい」を伝えようとしました。すると父は、「美味しい」とひとこと。
そのひとことを皮切りにお互いに話し出し、進学先についての話も進みました。父は、県内で夢を叶えるための準備をしてはどうかと理由と共に提案してくれました。
何度も話し合いをした結果、現在私は県内の大学に進学し、夢を叶えるために奮闘しています。
今私がこの場所で頑張れていることは、父のおかげ、ひいてはケンミン焼ビーフンのおかげです。とても感謝しています。
今も父と同居しており、父にケンミン焼ビーフンを振る舞うたびに心が暖かくなり、夢に邁進する原動力です。
エピソード44
子供の頃、私が育った家には「通り庭」と呼んでいた土間があった。家に入り、奥の台所に続くここを通る時、ほわぁ〜と晩御飯の匂いが漂ってきた。「ただいま〜!今日のご飯なに?」、「今日はビーフンよ」と、母。
「やったー!」と、私は喜んだ。
昭和三十年代後半、ちょうどケンミン焼ビーフンが発売された頃のことだ。煮物や焼き魚が定番のおかずだった我が家では、ビーフンはちょっと特別なメニューだった。野菜と豚バラ肉の焦げる匂い・・・、最後に垂らすごま油の風味が食欲をそそった。
父はノコギリの刃を研ぐ職人で、電動ノコギリが台頭してくるまでは、大工さんには、なくてはならない仕事だった。
仕事が順調にある時は、丸い小さな卓袱台に料理好きの母の大皿料理が所狭しと並んだ。だが、ひとたび仕事が途切れてくると途端に皿数が減り、子供心に「うちの家は大丈夫かなぁ」と、心配になった。そんな時、母は残り物を総動員してボリュームたっぷりの焼ビーフンを作ってくれた。それはそれは色鮮やかで、とても豪華に感じ、家族全員で取り分けて食べた。
あの頃の狭い居間でのささやかな食卓の風景が、心に深く刻まれている。思い出すたびに温かく心を照らしてくれる私の宝物だ。今でも、お給料日前のピンチの時には残り物でビーフンを作る。
いつも飽きずに食べられる魔法の味・・・半世紀以上この味に癒され続け、温かな幸せをもらっている。
ありがとう〜!「ケンミン焼ビーフン!」
エピソード43
24歳大学生と21歳になる大学生の2人の息子がいます!2人とも同じ遠方の中学、高校にそれぞれ6年通学させました。
3歳違いなので9年間を同じ学校で親子共々お世話になりました。母は、毎日お弁当作りもありました。
育ち盛りでのメニュー、飽きない様に、ボリューム、通学路でこぼれないようになどと考えながらの毎日でした。
そんな時ケンミン焼ビーフンは、大活躍でした!具材を変えアレンジしたり、時には、寝坊した私の強い味方でした。ビーフンとおにぎりさえあれば!!
2年前にそのお弁当作りを終え今では、楽しい思い出となっていますが一人暮らしをしている息子には、作ってあげる事もなくなりました。
息子の巣立ちが嬉しくもあり少し寂しくもありますが、自炊の息子への定期便には、必ずビーフンをいれます。
息子が自分でお買い物にも行けるのですが‥我が家にとっては、思い出の味です。
今は、主人が休日に私の為に作ってくれます。頂きながら息子を思い出します。
エピソード42
私が高校3年生だった3年前。大学受験のために勉強付の毎日。朝9時から夜の10時まで塾で過ごしていました。
そんな私の唯一の楽しみといえば、美味しいご飯を食べること。午後11時に帰宅して、それからまた自宅で勉強を続けていた受験日の1週間前。でも、そんな時間ってすっごくお腹が空くんです。
頭を使う分、糖分を吸収しないといけません。
夜遅くまで眠気と戦いながらも、勉強を続ける私を見て、母が作ってくれた夜食。それは私の大好物であるケンミン食品の焼ビーフンでした。母の作ってくれる野菜たっぷりの焼ビーフンはたまりません。
美味しさを噛みしめながら、最後の追い込みをかけて必死に勉強に励みました。
結果、第一志望の大学に無事に合格することができ、母と涙を流しながら大喜びしました。
今の充実した大学生活があるのは、支え続けてくれた母と、私のモチベーションであった大好物の焼ビーフンのおかげです。
感謝しています。今は私が母の野菜たっぷり焼ビーフンを受け継いで、毎日のように作って食べています♪
エピソード41
ケンミン焼ビーフンは、夫が初めて作ってくれた料理です。料理は全くできない、お湯さえ沸かしたことのない人でしたが子供が生まれ育児でぐったりしていた私に「ご飯作るよ!」と取り出したのが焼ビーフンでした。
ケンミン焼ビーフンは夫の大好物で、何かとリクエストされていたもの。たぶん自分が食べたい気持ちが半分以上だったと思います。野菜を切る手が本当に危なっかしくて、しかも、どこに何があるかもわからないから子供を抱き抱えながら夫の隣でハラハラしながら見守りました。出来上がったのはなんともグチャッとした焼ビーフンでしたが、そこは流石にケンミン焼ビーフン!さまざまなハプニングがあったとは思えないちゃんとした美味しさ。
食べるまで大丈夫かなぁ…と二人不安になりながら箸をつけたのですが食べ終わる頃には、「俺、なかなかやるなぁ!才能あるかもしれん!」なんて上機嫌の夫でした。
それから少しずつ料理をしてくれるようになり、今は魚まで捌いてくれます!でもやっぱり一番好きなのはケンミン焼ビーフン。
最近は自分で味付けするのも楽しいみたいです。
「俺の料理は焼ビーフンに始まり焼ビーフンに終わる!」なんて豪語していますが…。
まだまだ進化する夫の焼ビーフン、この先もますます楽しみです。
エピソード40
私と妹には忘れられない焼ビーフンがある。まだ私が10歳、妹が7歳の頃。祖父と一緒に留守番をしている時にお昼にケンミン焼ビーフンを作ってくれた。まずこれが衝撃!というのも私も妹も祖父が台所に立っているのを見た頃がない。いつも夕方には祖母が燗をつけたお酒と梅干しなり糠漬けなりラッキョウなりを摘まみながらひとり将棋を指していた。ずっと剣道をしていたのもあってつねに背筋はピンとして堀の深い顔は凄みがあり何となく私も妹も祖父が怖かった。そんな祖父が作った焼ビーフン。私も妹も顔を見合わせ心の中で(どうする?)とアイコンタクト。よく見ると私の嫌いなキャベツが、妹の嫌いなピーマンが入ってる。残したらきっと怒られる…怖い…でも私と妹をじっと見ている祖父を目の前に食べないわけにもいかない。仕方なく、勇気を振り絞って私が最初に箸をつけた。うわーキャベツがついていた!!いやー!!必死の覚悟で口に入れて食べた。ん?あれ?食べれる…ていうか「美味しい!!これ美味しい!!」私の声に妹も恐る恐る一口。「…美味しい。うん!美味しい!」
ところどころ焦げてる野菜の香ばしさだったり、大きかったり小さかったりする豚肉、うま味を吸ったビーフン。
夢中になって食べている時にチラっと祖父を見ると、とっても嬉しそうに私と妹を見ている。いつも怖いと思っていた祖父の優しそうな笑顔がなんだか照れくさくて顔をあげられなかった。その日、私と妹が母や祖母に焼ビーフンの美味しさを語ったのは言うまでもない。母も祖母も「おじいちゃんが作ったの?!」とびっくりし、しかも私はキャベツを、妹はピーマンも食べれてしまったことにさらにびっくりしていた。
これを機会に私も妹も好き嫌いを克服した…わけではない。やっぱり他の料理だと食べられなかった。母や祖母が話を聞いて焼ビーフンを作ってくれたが、美味しいけどなんだか違った。
料理をするようになった今、ケンミン焼ビーフンを作りながら今日こそあの美味しさを!と意気込んで作るのだけやっぱりまだまだ。作り方、聞いておけば良かったなぁ。でもきっとやっぱり敵わないんだろうけど。優しい祖父の笑顔と一緒に今でもあの美味しさが残ってる。
エピソード39
父が焼ビーフン大好きで小さい頃良く作って貰いました。父と一緒に食べる土曜日のお昼が楽しみでした。
大人になり、あの懐かしい味を今度は私が父に作ってあげたけど、父のような味にならず隠し味を聞きました。
父は「愛情たっぷりやからなぁ」と笑って、頭を撫ぜて貰いました。嬉しいのに恥ずかしさから、「止めてよ、本当に教えて!」と言うと、「美味しいものは、キチンと作り方通りに作ったら美味しくなる」と教えてくれました。確かに「適当に作っていたわ」と父に伝えました。父は、「ほら、ちゃんと愛情込めてちゃんと作ったら美味しい」と自慢してました。
今年で亡くなって3年目。父の教えの焼ビーフンを、ようやく家族に美味しいと言われる位上手に作れる様になりました。
父の命日に焼ビーフンをそっと仏壇に置きました。
エピソード38
ケンミン焼ビーフンは私の人生の様々な節目を彩ってきたように思います。
きっかけは大学時代の学園祭です。私の所属するサークルは第一次タピオカブームに乗ってアジアンテイストをテーマにタピオカドリンクと焼ビーフンを掲げて出店しました。当初はあくまでタピオカのついでに、という扱いだったのですが、想像以上にコスパがよく、時短、何よりメンバーの誰が作っても美味しくできるというのは当時驚きでした。大好評になり、過去最高の売り上げで盛大に打ち上げをしたのは良い思い出です。また学園祭前はサークルの先輩だった彼女(現在の妻)と何度もお互い試作品を作っては美味しく食べていたのも懐かしい記憶です。
大学卒業後すぐに結婚した私たち夫婦は、駆け出しの社会人でもあり、それぞれの職場で夜遅くまで働いていました。ヘトヘトの週末の昼食は簡単に、でも野菜も食べたいということで焼ビーフンを重宝していました。「誰が作っても美味しくできる」というのは調理へのハードルを下げるものでしたし、できる方が料理をする、家事をするという我が家の家事分担のスタイルは駆け出し夫婦の時期に定着したように思います。
幸い3人の娘たちに恵まれ、現在は子育てしながら共働きを続けています。妻が仕事でいない日は、3者3様で活発な娘たちの子育ては息つく暇もなく、時短、栄養バランスを考えるとついついまた焼ビーフンに頼ってしまいます。それでも、娘たちが大好きな焼ビーフンを黙々と食べて「美味しい!おかわり!」と言ってくれる笑顔を見ると、本当に子育ての幸せな時間を共有できているなあと感じます。また最近は娘たちも料理を手伝ってくれるようになり、簡単レシピの焼ビーフンを教えています。
ふり返れば学生時代の淡い記憶から、多忙な日々、家族での幸せな時間と、”特別”だった焼ビーフンの思い出は私の”日常”の中にすっかり定着したものになりました。これからも我が家の台所には焼ビーフンのストックが絶えることはないでしょうし、折々でいろんな懐かしい思い出が蘇ってくると思います。子ども達にも良い思い出として受け継いでいってもらえるよう、これからも妻と協力しながら子育ての時間を大切に過ごしていきたいと思います。
エピソード37
義父が現在、悪性のガンで治療中です。病院で抗ガン剤治療を受けるたびに、体力の衰えが顕著です。食事がうまくとれない日もあるのですが、大好きだったケンミン焼ビーフンだけは、残さずに食べられるということです。
ある日義母がスーパーに焼ビーフンを買いに行ったら、新型コロナウィルスの影響で麺類は一人一品までと言われたそうです。焼ビーフンはラーメンや蕎麦とは違うので売ってほしいと言っても駄目だったそうで、義母はとても悲しそうにしていました。そんな時、自分の家の近くの少し地方のスーパーで、焼ビーフンは制限なく買うことができたました。山盛りの焼ビーフンを抱えて、義父と義母の家へ行きました。二人はとても喜んでくれたことが、自分も嬉しかったです。義父の残されたわずかな時間で、たくさんの焼ビーフンを味わってもらいたいと思っています。
ちなみに、私が生まれたのも1960年。子供のころから、いつも身近なところに、ケンミン焼ビーフンがありました。
エピソード36
2018年2月に息子を出産し、順調に子育てを楽しんでいたのですが、離乳食がはじまると全く食べてくれない息子に頭を悩ませるようになりました。毎晩、息子が寝た後に「何だったら食べてくれるのか?」と試行錯誤し、あれこれ作ってみるものの、手をつけてもらえず、食事の時間が憂鬱になってしまいました。なかなか体重が増えず、小児科で「もっと頑張ってください」と言われて落ち込んだ日もありました。
1歳を過ぎたあたりにスーパーでふと思い立って購入した「ケンミン焼ビーフン」。“今日も食べてくれないのかな?”と思いながら、試しに食卓に並べてみると、初めて見る焼ビーフンに息子は興味津々!なんと、自分から手を伸ばし、口に運び出したのです。食感も気に入ったのか、あんなに食べなかった息子がもりもりと焼ビーフンを食べてくれ、涙が出るほど嬉しかったです。
その後も焼ビーフンに野菜や肉を入れてみると、「ちゅるちゅる!」と言いながら嬉しそうに食べてくれるようになりました。現在2歳になる息子の身体はケンミン焼ビーフンで出来ているのではないか?と思うくらいです。
あのとき、ケンミン焼ビーフンに出会っていなかったらどうなっていたことか。本当に感謝しています。
エピソード35
会社の歓迎会で焼ビーフンばかり食べている先輩。
私はそれまで焼ビーフンは知っていましたが食べたことがありませんでした。
後日、ビーフンをきっかけにビーフン先輩に話してみると大学の独り暮らしの時から焼ビーフンの虜になりビーフンのアレンジのレシピ等を熱く語っていました。
それから私も気になって教えてもらったレシピを自分で作るようになりその美味しさに20年余り食べてこなかった事を後悔しました。
そのビーフン先輩が今の主人です!ビーフンのおかげかな?
今でもビーフンが好きでその遺伝子をもつ子供たちも大好きで、沢山食べてくれます。
野菜が苦手なのですがわざと野菜を大量に入れても完食してくれるので大変助かってます。
エピソード34
今から28年前、次女を妊娠していた私は、悪阻(つわり)が重く上の子のお世話で精一杯で料理をすることが辛く、惣菜やレトルトばかりとなっていたある日、夫が焼ビーフンと豚肉・キャベツ・にんじん・もやしを買って仕事から帰ってきました。
結婚してからは全く料理をしなかった夫が今日は俺が晩飯を作るからと私と娘は待つこと30分。いい匂いのする焼ビーフンに大きくて少し焦げた野菜がたっぷり乗った特製焼ビーフンが運ばれてきました。
娘は当時3歳で初めての焼ビーフン。「おとうの焼ビーフン美味しいわ!」と口いっぱいに頬張っており、私も焼ビーフンの優しい味わいと夫の優しさに幸せな夜ご飯となりました。
その後、私達夫婦は3人の子宝に恵まれ今でも夫は子供達が帰省してリクエストされた時や休日には焼ビーフンを作ってくれます。あの頃よりも野菜は細かくパパッと作ってくれる夫の得意料理の焼ビーフンは我が家を笑顔にする逸品です。
エピソード33
「ケンミン焼ビーフン」を教えてくれたのは、職場の後輩だった。実家暮らしだが、夕飯に一家が揃う時間が遅いので、お腹が空くとおやつ代わりに作るのだという。「すっごく簡単で美味しいですよ」という言葉に惹かれて、さっそく帰りにスーパーへ寄った。パッケージにあるレシピの材料を、勝手にうんと簡略化して、こま切れ肉とカット野菜で作ったのが第一作。あっという間に湯気の立つ夕飯が完成し、あつあつを夢中で食べた。食べながら、なんだか涙がこみあげてきた。
いま思い返しても、その頃は相当に疲れていた。満員電車での通勤、女性社員だけ着用が決められているスカートの制服、不機嫌を隠さない同僚たち。毎日の疲れは、過去のうまくいかなかった恋愛や、将来への漠然とした不安まで思い起こさせて、たとえ遠くの家族や友達を思い浮かべることができたとしても、心配をかけまいと思うと、いまひとりぼっちだという気持ちは消えないのだった。
もともと食いしん坊なので、疲れても食欲が落ちることはほとんどない。空腹で帰宅し、気力を振り絞って、米を炊いたり簡単な惣菜を作ろうとするが、出来上がるまでがつらい。かといって、インスタント麺や出来合いのお弁当でよいかというと、なんとなく満ち足りた気がしないのである。そんな中、好みの肉や野菜を合わせて、あっという間に出来上がるビーフンは、まさに救世主であった。
とりあえず、旨い夕飯で締めくくったぞと考える。一日のうちに一つでも良いことがあったならば、今日は勝ち越し。明日もなんとか大丈夫。あの頃、一人でうんうんと頷きながら食べたビーフンは、確かに私のパワーになっていたと思う。
こま切れ肉に下味をつけて片栗粉をまぶし、たっぷりの春菊と炒め合わせて、仕上げにに香酢をかけたもの。鶏ひき肉と短冊に切った白菜で作ると、しみじみしたやさしい味になる。豚ひき肉とざく切りにしたキャベツで作って、半熟の目玉焼きを乗せるのも、ボリュームがあって美味しい。いつの間にか、自己流のレシピもいろいろ増えた。
月日が流れ、職を変わった今も、私は相変わらずひとりで、納得できないあれこれに思いを馳せている。そうそう人は変わらないものだけれど、なんとか今日も勝ち越しと認定。湯気の立つフライパンをのぞきこみながら、あの子も元気でいるかな、しあわせに過ごしていてねと、心の中でささやかなエールを送っている。
エピソード32
35年前、3度の流産で子供を諦めかけていた時、4度目の妊娠をしました。ひどい悪阻(つわり)と切迫流産のため自宅安静の日を送っていた頃、仕事から帰って夫がよく焼ビーフンを作ってくれました。悪阻(つわり)のため食べられる物が少なく唯一まともに食べられたのが、焼ビーフンだったのです。
色々な具で作ってくれていたのだと思いますが一番好きな具はキャベツと魚肉ソーセージ、味は塩と胡椒だけのシンプルなもの
今でも忘れられません。
なんとか悪阻(つわり)を乗り切って、翌年男の子を出産しました。息子も結婚して孫もいます。
今年夫は還暦を迎え、忙しい仕事も少しひと段落です。焼ビーフンを作るたび『これ好きだったよね』としみじみ2人で話しています。
エピソード31
ケンミン焼ビーフンと聞いてすぐに思い当たるといえば、実家の母のことです。現在80歳の母は、とにかく「絵に描いたような専業主婦」で質素・倹約という言葉もぴったりな母でした。高校教師だった父は、朝7時には出勤し夕方18時には帰宅。母はその時間に合わせて、朝食・昼弁当・夕食をきっちり作っていたように覚えています。ほとんどすべて手作りでインスタントものは缶詰ぐらいだったのではないでしょうか。
私が小学校高学年の時でした。夏休みのプール学習会の帰り道に当時カップ麺の自販機があって 母に頼み込んでやっと食べさせてもらったことがありました。でも母と半分こ!今から思えば油やかん水といった体にあまり良くないものが入っていると思ったのでしょう。
高校を卒業して短大に進む時に1人暮らしが始まりました。4月の新生活が始まるとすぐに母から小包みが届いて その中に 「ケンミン焼ビーフン」が5袋入っていたのです。珍しいこともあるものだとびっくりしたのをよく覚えています。やはり決め手は「米」です。お米から作られている点を母は気に入って送ってくれたのだと思いました。その時、蓋付きのフライパンも買いに行きました(笑)
大人になって中華料理のお店に行くと五目焼きそばはあってもビーフンにはお目にかかれませんでしたが、台湾料理店には必ずといっていいほどありました。しかし、そのビーフンは、もちもち感はあるものの何かが違うと思うのです。ケンミンのスッキリした味付け、後に引くうまみのようなもの。これはケンミンならではだと感じます。加えて1袋完食してからの腹持ちの良さは抜群です!
ケンミン焼ビーフンはしっかり味がついているので、健康を気遣うお年頃の私はなるべく沢山の野菜を入れて、少し薄味になるように作っています。春の今頃でしたら、タケノコ・春菊などたっぷりと。
30歳になった娘も大好物。今年予定していたタイの挙式もコロナの影響で取りやめになって残念に思ってる所です。
エピソード30
我が家では定番メニューで、子供の頃の夏休みなど母がつくってくれた焼ビーフンをよく食べていた思い出があります。
小学校4年生の頃、学校で2分の1成人式という行事がありました。10歳迎えたため、「育ててくれた家族の皆さんに感謝のきもちを伝えましょう」という先生の言葉がとても心に残りました。
当時の私はそれを聞いて、その週末、いつもごはんを作ってくれる母のために、初めて料理を作ろうと決めました。
まだ10歳だった私は上手に野菜を切ることができず、大きなたまねぎになってしまって不格好な焼ビーフンだったけれど、母はとても喜んでくれました。泣きながらありがとう、ありがとうと言って食べてくれた母の顔が忘れられません。
もうすぐ私も母になりますが、娘が生まれたら愛情のこもった焼ビーフンを食べさせてあげたいと思います。
エピソード29
高校生の頃に焼ビーフンブームが自分の中で起こり、毎日のように食べていました。
当時はお弁当を母に作ってもらっていたのですが、焼ビーフン大好きな私は昼食にも食べたいと思い、母にリクエストしました。
翌日午前中の授業が終わり、昼食の時間・・・わくわくしながら弁当箱を開けると、一面に敷き詰められた焼ビーフンが目に飛び込んできました。
一心不乱に焼ビーフンを食べ、おかずを食べようと下の段のを開けると、そこにも焼ビーフン。
なんと、2段弁当の2段とも焼ビーフンでした。
嬉しかった反面なんとも言えない気持ちになりました。
エピソード28
仕事に家事に忙しく走り回る日々、連勤が続いて疲れて「お米炊くの忘れてた!!」をやってしまう事も多々あります…。
そんな時のうちの救世主は焼ビーフン!!
レンジでも出来るし、味付きだから簡単だし、もやしや野菜の残りで、ささっと完成する手軽さは、もはや、神の域!
キャンプとかに持ってくのもありかもな〜、楽しいよなぁ〜と狙っております! 息子2人が大きくなって一人暮らしするようになったら、うちの救世主の焼ビーフンを持たせようと今から思ってます…!!
エピソード27
私の田舎の小さな町には二年に一回祇園祭りと言うものがあり、その時に近所の方を招いて、家でおもてなし料理をつくり盛大に祝っていました。その時に、母が毎回野菜たっぷりの焼ビーフンを大皿で作ってみなさんから大好評だったのを覚えています。
その思い出があり、私も今は母から受け継いだ焼ビーフンが得意料理になりました。
毎年、お友達の親子30人近くで花見をしていて、各自持ちよりなのですが、私は野菜シーフード焼ビーフンを持っていっています。みんなから毎年好評で、子供にも大人にも人気の焼ビーフンです。
時間が経ってもめんも伸びず美味しく食べられる焼ビーフンがみんな大好きです。
エピソード26
私と妹がまだ小さかった頃。母が飲み会に行ってしまい、父と3人、料理ができずに食に困っていた。そんなとき、スーパーで必ず父が手にするのは焼ビーフンだった。
そんなことが何度か繰り返されたある日、母と買い物に行った時のことだ。まだまだよちよち歩きの妹が、笑顔で焼ビーフンを手にこっちへ来た。驚く母に、私は「これは私たちをつなぐものなんだよ」と説明した。
それ以降、私の家の食卓には何かイベントがあるごとに、焼ビーフンがある。いえ、特別な日だけでなく、ふとした家族団欒の時にも、気がつけば焼ビーフンがそばにいる。
エピソード25
野菜嫌いの方でもOK!
我が家には3人の息子が居ますが、もう成人して一人暮らしをしています。小さい頃はそれぞれの好き嫌いの野菜がありましたが、焼ビーフンと一緒に調理すれば食べてくれました♪
実は、私は栄養士ですが、人参が嫌いで未だに食べたくありません。食事をする際には、私が人参嫌いなのを子供に悟られないように焼ビーフンと一緒に食べられるアピールをして子育てをしていたものです。
お陰様で子供達は好き嫌いなく、野菜を食べられる様になりました
エピソード24
小さい頃からクラシックバレエをしていて19歳で上京し、バレエのレッスン、オーディション、バイトの掛け持ちの日々でした。
寂しさや頑張らなくてはという焦りの中でも痩せなくてはという気持ちから食に対するストレスが募っていたとき近所のスーパーでケンミンの焼ビーフンが目にとまりました。
ノンフライでカロリーも少なく、何よりパッケージの写真が美味しそうで初めて購入しました。家に帰ってパッケージの裏を見ながら調理しましたがとても簡単で何よりほっとする美味しさでした。それ以来、常に家にストックがある状態となり、時々何も具を入れず麺だけを堪能するのも大好きでした。
数年後実家に帰ったときに、両親に具だくさんの焼ビーフンを作ってあげるととても喜んでくれて今では食卓の定番メニューです。
今でもスーパーでケンミンの焼ビーフンをみると、苦悩しながら頑張っていた頃を思い出して思わず微笑んでしまいます。食べることの大切さ、身体や心が喜ぶものを食べる大切さを教わりました。ありがとうございます。
エピソード23
私が子どもの頃、休日のお昼の定番と言えば、焼ビーフンでした。5人家族の我が家では、大皿にのせられた焼ビーフンがあっという間になくなり、最後はとり合いになるくらい、家族みんなが大好きな料理です。
あれは休日明けの1月17日の早朝でした。私が住む街を突如、大地震が襲ったのです。私の家は半壊でしたが、そのまま避難生活をすることなく、自宅に住み続けることができました。しかしガスや水道はストップし、その日食べるものもありません。この日から、食料と水を探し求める日々が始まりました。
だんだん時間や曜日の感覚もなくなっていたある日、スーパーにできた長い行列に並びながら、ふと今日が日曜日だということを思い出した私。普段であれば、お昼に母が作った焼ビーフンを食べる日です。頭の中は焼ビーフンのことでいっぱいになり、食べられないと思えば思うほど、無性に食べたくなりました。
本当だったら、今頃焼ビーフンをお腹いっぱい食べているはずなのに…。家に帰った私は、スーパーで購入した冷たいパンをかじりながら、虚しさと空腹に耐えるしかありませんでした。
震災が起きて1か月が過ぎた頃、水道から水が出るようになり、ようやくガスも使える日がやってきました。久しぶりにガスが使えるとあって、母は朝から張り切っています。「何が食べたい?お昼には何か作れるから、食べたいものを言ってごらん。」と言われた私は、「焼ビーフンが食べたい!」と、お願いしました。
今まで通りの普通の生活に戻りたい。家族みんなで笑いながら食卓を囲みたい。その願いが、焼ビーフンには込められていました。母はそんな私の気持ちを汲んでくれて、お昼にいつもよりも多めに焼ビーフンを作ってくれました。
豚と人参、キャベツと卵の入った焼ビーフン。それまでほとんど毎日冷たいパンばかり食べていたので、湯気が立ち昇る出来立てほかほかの料理は久しぶりで、とても感動したのを覚えています。焼ビーフンを一口食べると、口いっぱいに広がる懐かしい味。心まで温かくなったのを、数十年たった今でも忘れることはありません。
焼ビーフンを家族みんなで囲んで食べた休日。震災で辛い日々を過ごしていた私に、元気をくれた焼ビーフン。そのどれもが大切な思い出で、そしてそれはこれからも続いていくことだろうと思います。ありがとう焼ビーフン。
エピソード22
土曜の昼、半ドンの授業を終えて走って帰ってくると、家から香ばしい匂いが漂ってきた。母が台所でフライパンを振っている。「何を作ってるの?」「これ、ビーフン」。ビーフンって何、と尋ねる私に「お母さんが子どもの頃、よう食べたんよ」とほほえむ。
「ビーフンはお米の粉でできてるんやで」と少し自慢げに言う母に「へぇー、ご飯と一緒やん」と返す。なるほどお米だからおいしいのかと考えながら、ラーメンやうどんにはない独特の麺に舌鼓を打った。ピーマンやキャベツ、ニンジンと炒められた細い麺はのどごしがよく、ほんのり香るしょうゆ味は、私を夢中にさせた。
母は日本統治下の台湾で生まれた。役人だった祖父の屋敷には、現地のお手伝いさんがいて、よくビーフンを作ってくれたそうだ。わずか10歳にも満たない少女が、多忙の両親に代わって、弟や妹の世話を一身に引き受けていた。長女としての責任感を少しでも忘れさせてくれたのが、おいしいものを食べている瞬間だったのかもしれない。
終戦で引き揚げてきた後も、無性に台湾の味が恋しくなることがあるという。南国ならではの完熟バナナ、おやつ代わりに噛みしがんだサトウキビ。中でもビーフンは格別だ。
そんなわけで、実家の食卓にはよくビーフンが登場した。ケンミンの焼ビーフンが発売され、スーパーで手に取った時、母の喜びもひとしおだったにちがいない。日本にいながらにして、思い出の味が再現できるようになったのだから。
母が仕事でいない日は、時々、自分でも作ってみた。フライパンに麺と水を入れるだけで簡単にできる。調味料もいらない。子どもの私にとって、つたないながら得意料理の一つになった。
そして今、わが家の息子たちがビーフンをほおばっている。「これ、昔、おばあちゃんがよく作ってくれたんやで」。そう言いかけると「台湾の思い出の味なんやろ。その話、何回も聞いたで」と言葉をさえぎる。もういいと手を振る仕草をしながら、せっせと麺をかきこむ。 母の思い出のビーフンは、私の思い出の味にもなっている。
エピソード21
私にとってケンミンの焼ビーフンは産後の大変な時期を一緒に乗り切ったパートナー。育児の思い出の味です。
現在3歳になる娘の出産の際、予定日が主人の繁忙期と重なったため里帰り出産をしました。我が家は母は既に亡くなっており、姉弟も遠く離れた土地に住んでいるため、実家とはいえサポートしてくれるのは父のみ。そんな父も料理が得意なわけではありませんし、私は一人目出産直後で慣れない育児にヘトヘトで、ご飯を作れる余裕はありませんでした。田舎なので宅食やミールキットのサービスは全て対象外。母乳のためにしっかり栄養を摂りたいのになかなか実現できない...そんな状況で大活躍してくれたのがケンミンの焼ビーフンでした。
ホットプレートに材料と水を入れるだけの簡単調理なので、料理の苦手な父でも疲れた私でもすぐに作ることが出来ました。母乳に良いお米で作られたビーフンと一緒に肉、野菜まで食べられるので、栄養もばっちり。毎日のように食べていました。
産後のピリピリしやすい時期でも楽しく笑顔で子供と過ごせたのは、焼ビーフンが簡単調理で料理に使う時間や体力を育児に充てられたから、そしてきちんと栄養が摂れている安心感があったから、何より美味しいご飯で心が満たされていたからだと思います。
我が家では、まず出来上がりを半分食べ、残りを強火で焼いてお焦げにしたり、ご飯とソースと卵を入れてビーフン版そばめしにしたり、家ごはんならではの楽しみをしています。食べすぎは良くないと思いつつ、ついつい食べ過ぎてしまいます。
現在、2人目出産でまた実家に戻っています。今は上の子も一緒になって、またビーフンにお世話になっている日々です。
エピソード20
もともとはお店で初めて食べました。美味しくて気に入りました。家庭で作れるメニューだとは思っていなくて、お店で食べるものだと、ずっと思っていました。
あるとき、スーパーの試食販売でいただき、とても美味しかったので購入しました。すると家庭でとても簡単に調理できて、家族にも好評で嬉しかったです。
調味料も麺に練りこまれていて簡単にでき、野菜がたっぷり食べられるので気に入っています。麺もお米から作られているので、ヘルシーで罪悪感なしで食べられます。焼きそばや焼きうどんを食べるよりは、小麦より米。で、ダイエットメニューにも向いていると思います。
話は変わりますが、わたしは学校給食センターに勤めていて、ケンミンの焼ビーフンは人気メニューです。大きな釜で、背丈ほどもあるスパテラというしゃもじで1000人分単位で 玉ねぎやピーマン、人参、そして豚肉と炒めます。
メニューがビーフンの日に担当になったら、へろへろになりますが、やっぱり美味しいので、食べる時とてもしあわせな気持ちになります
エピソード19
焼ビーフンを、スーパーで見るたびに今はもういない母を思い出します。
私は小さな頃、とにかく野菜嫌いがひどかった子どもでした。何とか野菜を食べさせたかった母は、オムライスに小さく小さく刻んだピーマンなんかを入れて作ってくれましたが、不思議なことに嫌いな物には敏感で全く食べなかった私でした。
ある日食卓に見慣れないものが出てきました。それが、焼ビーフンで、最初は野菜が目に見えているので『食べたくない』なんて言っていましたが母に強制的に食べさせられてびっくり。とっても美味しかったんです。ビーフンにしっかり味がついているので、野菜もモリモリ食べられました。
それから我が家には焼ビーフンが常備されていました。今では焼ビーフンのおかけで野菜も大好きになりました。
そんな私も母になり、五歳の息子に野菜を食べさせてたい時は、たくさん野菜を入れて野菜焼ビーフンを作っています!あの時の母の気持ちがすごく分かります。お母さん、ありがとね。
エピソード18
これは10年前、高校生の頃の話です。
うちの母はよく前日の夜にお弁当を作っていました。
ある日お昼休みにお弁当開けると2段弁当のうち
1段目に白米、2段目にケンミンビーフンが入っていたことがありました。
おかずがない、、、笑
唖然とした私はすぐに母にメールしました。帰宅後母から怒りの一言が、
「ケンミンビーフンも立派なおかずだ!」と。
それから月に2.3回はケンミンビーフン弁当が当たり前になりました。
それから10年後一人暮らしのキッチンにはケンミンビーフンのストックが3つあります。
私にとって忘れることの出来ない学生時代の思い出です。
そして今でもお弁当大変お世話になっております。
好きです、ケンミンビーフン。
うちではずっとケンミンビーフンと呼んでいます。
エピソード17
父母は共働きで、食事は凝った料理というよりかは早く作れるおかずなどが
多かった家庭でした。
そのなかでもよくお昼ご飯に焼ビーフンが食卓に並んでいました。
子供が好きなオムライス、ハンバーグ、カレーといったメニューはあまり食べた覚えがなく、焼ビーフン、パッタイ、タンドリーチキンなど少しチョイスが日本離れしたメニューが我が家は多かったと思います。
そのなかでも焼ビーフンはお気に入りのメニューでした。
私には双子の妹がいて、焼ビーフンが食卓に並ぶ時は必ず具が多い方を自分の食べる方にセッティングして、食べていたのを思い出します。
日によって、中華風のトッピングやイタリアンのようなトマトをトッピングした味付けなど、食べる度に味を変えてくれていました。
子供の時は、焼ビーフンに、具だけ変えてただけで出される度に新しい料理だと思ってました
母なりの簡単な料理だけど飽きないようにとの心遣いだったのかなと
大人になってから、自分が作る側になった時に感じます。
エピソード16
子供の頃からとても好きだった焼ビーフン。
母がよく作ってくれたお野菜がたっぷり入った焼ビーフン。
キャベツ、にんじん、ピーマン、たまねぎ、ながねぎ、しいたけ
あれ、嫌いな野菜がいっぱい入ってる。
なぜだろう、とても美味しく食べていた。
あっ、だまされていたんだ!
子供に野菜を食べさせる「母の秘密」のひとつだった。
母が亡くなりふとそんなことを思い出した。
久しぶりにすごく焼ビーフンを食べたくなった。
自分で作ったことがなかったのでとても不安だ。
スーパーに行き、ケンミンの焼ビーフンの袋を見つけた。
キャベツ、にんじん、ピーマン、たまねぎ、ながねぎ、しいたけと豚バラを少し買った。
母のビーフンを思い出しながら具材を切り、同じ味ができるのかとても不安になりながら、袋麺の裏の作り方を見た。
あっ、だまされていたんだ!まただまされていた
味付けしないんだ!えっこんな簡単な料理だったの。
出来上がったビーフンを食べてみると母の作ったビーフンと全くおんなじ味だった。
食べ終わった後とても幸せな気分になった。
「母の秘密」がまた一つあきらかになった
エピソード15
父が晩酌をする人だったので、余った蒲鉾やさつま揚げなんかを
うまく利用して母が焼ビーフンを作ってくれたことを思い出します。
季節感のある食材と余っちゃった食材との組み合わせのマッチングで
焼ビーフンはいまでもうちの食卓のスタメンとなっています。
今は冷凍ビーフンもあるけど、保存がきくビーフンって母にとって
長期休みの心強い味方だったんだろうなぁ。
お出かけが出来ないと季節感を目にすることが本当に少ないのですが、
退屈している子供に旬の食材の豆知識披露したり、具材のチョイスや
ちょい足しを家族に任せてみたりしておうち暮らしを楽しめてます!
家庭菜園も始めたので、野菜が足せる焼ビーフンは我が家のエースです!
この間、電話でその話を実家の母にしたら、焼ビーフンはむしろお父さんが
作ってくれてたじゃないと訂正されたので記憶ってどこかで修正されちゃう
みたいですね。このおうち暮らしも子供たちが大きくなる頃には楽しい
記憶として残ってくれたらいいなぁと思っています!
これからも焼ビーフンさんにはお力をお借りしますね!
エピソード14
旦那と付き合った時に初めて作ってくれた料理が焼ビーフンです。
25年間生きていても焼ビーフンを一度も食べたことがなかった私は。
あまりにも美味しさに感動しました。
今でも時々作ってくれる思い出の味・焼ビーフン。
私にとって一生忘れることができない食べ物です。
12月に行う結婚式でシュフに思い出の焼ビーフンをメニューの中に入れてもらう予定でいます。
ゲストの方々にも私たちの思い出の味を伝えたくて。
きっとゲストで来られた方も笑顔になってくれるの間違えなしです。
エピソード13
幼い頃、土曜日、午前中で学校を終え帰宅すると、必ずお昼は
焼ビーフンでした。
でも、母子家庭だったため生活が厳しく、肉なしの焼ビーフン。
それでもすごく美味しくて大好きで…毎週楽しみに帰ってました。
今、私は娘二人に作っています。肉は、あります。(笑)
焼ビーフンの匂いを嗅ぐと、15年前に亡くなった母を思い出します。
いつか、肉ありの焼ビーフンを一緒に食べたかったなぁと。
あの頃と変わらない味、それは懐かしさと共にちょっぴり寂しい想いが
涙を誘います。
エピソード12
小麦アレルギーの姪は、パスタや焼きそばを食べたことがありませんでした。
ある日、親戚みんなで喫茶店でご飯を食べた時、何人かが、鉄板で熱々でくるナポリタンを注文しました。
『美味しそう!私も食べてみたいなぁ、でも一生無理だろうな』と言う姪を見て、心が痛みました。
そんな時、スーパーでケンミンの焼ビーフンに出会いました。これだ!!と思った私はビーフンを買い、週末に姪を自宅に招き、ビーフンで鉄板ナポリタンを作りました。
ケチャップがビーフンによく絡み、ピーマン、玉ねぎ、ウインナー、コーンと具もたっぷりのスペシャルナポリタンが完成。熱々鉄板にのせ、最後に周りにとき卵を回しかけました。
『おいしい、おいしい!夢が叶ったよ、ありがとう』という姪の言葉と、幸せな笑顔は一生忘れません。またいつでも作ってあげるよと約束しました。
次はソース焼きそば風や、あんかけ焼きそば風にビーフンを利用したり、明太子クリームソースをかけたりしてみようかと今から新しいチャレンジにワクワクしています。
エピソード11
私は元々料理が苦手。
結婚したら料理が上手くなると勝手に思っていました…。
しかしそんなことはなく、料理はいつまで経っても上手くならないし、作るのも楽しくない。
料理をするのが憂鬱でした。
そんな時に母から焼ビーフンの素を使ったりしたら美味しくできるんじゃない?と母がプレゼントしてくれました。
そして、使ってみると簡単でこんなに美味しく野菜もお肉も摂れるものがあるなんて…と世の主婦の秘密を知った気分でした。
そこから、なぜか料理が楽しく感じるようになり、今では料理がとっても楽しくなりました。すっかり、焼ビーフンは家庭の夕飯の定番メニューです。
エピソード10
小さい頃テレビで見ていた焼ビーフンのCMはなんだかちょっぴり怖くて変なCMでしたが、何故か食べたくて食べたくてお母さんにねだりました。
でも「米に米のおかずは合わん!」の一言で片付けられてしまい、初めて食べた焼ビーフンは二十歳を過ぎてから我が子に作った焼ビーフンでした。簡単なのに美味しくて、すぐ我が家の定番になりました。でも、焼きそばみたいに単品で食べるもんなのか、おかずで食べるのか…
関西人たるもの麺と米で食べるべきなのか…未だに謎ですけど、親子3代で大好きです。(何故か母も食べるようになりました。我が子にねだられたらのだと思います。娘には与えないけど、孫にはすぐ与える優しいおばぁちゃんですw)
エピソード09
私がまだ小学低学年の頃です。
母は早くに亡くなったので、父が私と兄を育ててくれました。
父は不器用な人で、色んな料理を作ってくれるのですが、お世辞にも美味しいとは言えない料理が出ることもしばしば。
そんなある日、父は私の誕生日に友達を招いてささやかな誕生日パーティを開いてくれました。
と言うのも、私が友達の誕生日会に招かれてごちそうを食べて帰ってきた話をしていたので、父は私を喜ばそうと誕生日会を開いてくれたんだと思います。
その時に父が作ってくれたのが焼ビーフンでした。
私も友達も初めて見る焼ビーフン。
焼きそばでもスパゲティでもない、不思議な麺の食感と具たくさんの焼ビーフンに驚きました。
素朴な味でしたが、とても美味しくて一気に食べ進めました。
友達からも美味しいと好評で、私も嬉しかったことを今でも覚えています。
何故、誕生日会に焼ビーフンを作ってくれたのか、父が亡くなった今ではもう分からないのですが…
そして今は、その焼ビーフンが子供達のおふくろの味になっている。
エピソード08
結婚してすぐ焼ビーフンが大好きな旦那の為にたくさんの野菜(にんじん、キャベツ、もやし)や肉(豚肉、牛肉)と共にケンミンの焼ビーフンを作って食卓に出し夫からものすごく喜ばれてました。
最初のうちはビーフンをちょうど良い固さにするまで苦戦しました。慣れてきて自分たちの好みの固さに作ることができるようになり、妊娠してからつわりが酷く食べれない時もケンミンのビーフンの香りだけは体が受け付け、食べることができ、今では子供達も大好物です!
冷凍のケンミンの焼ビーフンもたまに調理したくない時は利用し楽させてもらってます。これからもずっとケンミンの焼ビーフンを孫の代になっても食べ続けて行きたいです。
エピソード07
子供の頃、「ケンケンミンミン焼ビーフン」のCMが学校で大流行し、家でも歌う私のために、祖母がよく買っておいてくれました。
自身が親となり、毎日の仕事が忙しい中でも家族の食事だけは気を配りたいと思っていましたが、
日常に忙殺され子供への申し訳なさが募っていた頃、帰宅すると小学生の娘が冷蔵庫の材料とツナ缶で焼ビーフンを作って待っていてくれ、涙の出る思いでした。
エピソード06
主人とは仕事で出会い、お互い40歳近くギリギリ30代で結婚した。お互い独身を謳歌し、マンション購入がきっかけのまさに大人の結婚だ。
初めて作った料理は覚えていないが、しょっぱ過ぎるとか甘さが足りないとか、何を作っても満足は得られてなかった様子だった。
独身時代、お酒が好きな私は、休日にレモンを絞ったレモン杯を飲みながら、野菜をいっぱい入れた(人参、ピーマン、もやし、しめじ、キャベツ)ケンミンの焼ビーフンを好んで良く作っていた。最後に自家製ニンニク醤油、ナンプラーで卵をとじるのが私流のこだわり。どんな凝った料理もあまり褒められなかったが、休日のお昼にささっと手慣れた得意の焼ビーフンを作った時、主人が初めて料理を褒めてくれたのが懐かしく思い出された。
あれから10年、最近は休みが合えば週末は二人でゴルフ。
今日、主人は仕事、私は自宅で昼からレモン杯片手に、ケンミンの焼ビーフンを作る。いつもでも変わらぬ私流のレシピで。
エピソード05
生まれて初めて食べたのは小学校の給食でした。そうめんと思って食べると和食でもない、洋食でもない。「何だ!このうまみは」と衝撃を受けたのを思い出します。家に帰ってすぐに母にビーフンのおいしさを話し、作ってもらうようお願いしたにもかかわらず、作ってはくれませんでした。
その後、中学高校とビーフンから遠ざかり、大学で下宿生活を送ることになった私はやっと思い出のビーフンを思う存分食べることができました。自分で作ってみて驚いたのが、作り方の単純さです。料理に不慣れな大学一年生の私にも簡単にできました。
なぜ、母は作ってくれなかったのかは未だにわかりませんが、働く主婦になった今は、娘と美味しく食べることができて幸せです。ビーフンを学校給食に取り入れてくれた母校の管理栄養士さんに感謝しています。
エピソード04
30年以上前になりますが、私が小学生の頃に食べた焼ビーフンの味を思い出したのは、結婚して自分で料理をするようになってからです。
スーパーでふと目にとまったパッケージ。手に取り、初めて自分で作ってみました。一気に懐かしいあの頃を思い出すかのような美味しさ。味覚というのはすごいですね。
そして、今、小学生の娘2人にケンミンの焼ビーフンを作る自分がいます。
娘2人も大好きな味になっています。
また30年後、次の世代。。。孫になるんですかね?わたしの。
孫が食べていてくれたら不思議ですが嬉しいものです。
エピソード03
最近料理に目覚めた大学生の娘が これってどうやって作るの??と。
こんなに簡単に美味しく作れるって事を教えたい様な、教えたくない様な…笑
母から私 私から娘達とずっと続くんだなぁと思いながら今日も焼ビーフン作りました。
エピソード02
焼ビーフンをいつから食べ始めたのかわかりませんが、学生時代から頻繁に食卓に出てきていました。それから一人暮らしをして自分でも作るようになり、そして、結婚して夫婦でハマり、今や子どもも大好きな我が家の定番メニューです。
そんないつも共にしてきた焼ビーフンですが、一人暮らしの時は1袋を食べ切れず翌日のお弁当に入れ、結婚してからは1袋を夫婦で食べ、子どもが2人になった今は、何と一気に3袋作って食べています。
焼ビーフンを作る度に家族の大きさの変化と、子どもたちの食べる量の変化に少し感慨深くなります。美味しく、少し切なくなるそんなメニューは他にはなかなかないので、これからも家族の大きさが変化しても変わらず我が家の食卓には焼ビーフンが並びます!!!
エピソード01
37年前新婚当時、料理が苦手な私の料理の中で、主人が笑顔で食べてくれたのがケンミン焼ビーフン。
味付いているし、手抜き・インスタントに見えない出来映えGOO
食卓に出すたび、主人が「ピーマン入れんといてや~」とTVCMのフレーズを必ず言い、CMのまねがおかしくて私はよく笑っていました。
37年経っても今だに焼ビーフンを出すたびに「ピーマン入れんといてや~」。
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